鬼丸凜太の随想&創作&詩&日記

サウダーデを心に沈めた漫ろ筆。日曜詩人としての余生。

田舎ホームズ奮戦記[一](不定期連載小説)

[一]

 音町(おとまち)章悟(しょうご)から*県への旅に誘われたのは、一九八*の夏のことだった。そこは有名な温泉郷にごく近く、仕事が片付いた後はそこで一泊、あるいは気に入れば二泊くらいするつもりだというので、それが楽しみで快諾した。

 音町は私立探偵である。彼から電話のあった日、私は仕事を午前中に済ませ、自転車を駆って彼の事務所へ向かった。私の住まいから歩いて数分のところを琴川が流れ、土手に沿ってサイクリングロードが敷かれている。その道を二十分程走ってから一般道へ下り、さらに五、六分行けば彼の下宿へ着くのだった。その建物は地元銀行のかつての支店で、大正年間に建てられた木造の和洋折衷館である。老朽化したそれを買い取り、改装を施して下宿としたのは今の持ち主の先考だという。

 玄関を入っていくと、正面、かつてカウンターであったであろう辺りが、大家さんの居間兼管理人室に変えられ、上品な初老の婦人がガラス戸の奥から笑顔を送って寄越した。屋内は床も壁も懐かしい木の香を放っている。靴音を立てて木の階段を三階まで上がると、西の奥に音町探偵事務所はあった。

 そこは建物の中で最も立派な部屋、すなわち元の支店長室を占有していた。ドアをノックすると、ちょいと気取った声が返ってきた。

「やあ実里(みさと)、よく来てくれた」

 彼と私とは高校の同窓である。と言っても親しく付き合ったわけではない。クラスが別だから、廊下で擦れ違った憶えがあるというばかりだ。団塊の世代のすぐ下だから同窓生は佃煮にするくらいいた。

 互いに三十を過ぎたある一日、偶々お互いの仲間どうしで飲んでいた。どちらもいい加減酩酊状態に入った頃、トイレに立った音町が私の足につまずき、派手な音を立てて転んだのが付き合いの始まりである。

 侘びを言いながら見合うと、どこかで会ったような顔だ。ひとしきり、各々の脳中で探り合った結果、高校の廊下で時折見かけた相手だと気付いた。

「音町章悟だ。この町にはいつから?」

「実里(みさと)喜雄(きお)だ。もう七年くらいになるかな」

 改めて名乗り合い、故郷を遠く離れたこの地に住み始めた経緯を述べ、彼は小用へ向かうのも忘れて話し込んだ。案外近い所に住んでいることもわかり、それ以来時々行き来したり一緒に飲んだりもした。

 少年時代というのは不思議なものだ。ろくに言葉も交わしたことがない相手なのに、その時代にしばしば顔を合わせたというだけですぐ打ち解けた言葉遣いになっている。

「*県の茜渓流温泉だって?」

「仕事はその隣村だ。同じ郡内だがね」

「仕事が片付いたら茜渓流温泉へ行くって話だったが」

「うん、まあな、今度の報酬はちょっとした贅沢を許す額面でね」

 私は鄙びた温泉宿が好きだ。色褪せた障子紙を敲くががんぼの羽音を聞きながら、熱燗を啜る情景を早くも思い浮かべた。

 二人とも三十代半ばに達しようという独り者だった。両親を既に亡くしていることも共通だ。入ってきた金は余さず使えるものとの了見を持つ不届きな男らである。友人たちは皆落ち着いた家庭人となっているのに私と音町は、まさに浮草の日々を謳歌していた。

 私は小さな学習塾を開いている。と言っても、二人の専任講師と一人の学生アルバイトに殆ど任せ切りであった。私は生徒たちにあまり人気が無いので、表に出ることを最小限にとどめている。東京の大手広告代理店に勤める大学時代の友人がいて、そのつてで時々コマーシャル書きの真似事をさせてもらった。それでかろうじて仕事をしている気分になる。

 音町にしても舞い込むのは浮気調査の依頼が殆どで、シャーロック・ホームズばりの推理をはたらかすような事件には一向お目にかかれない。それでも、支店長室を追い出されない程度の実入りはあるのだろう。

 ホームズに憧れてこの商売を始めたというだけあって、音町の挙措には確かにそれらしい臭みが出た。時にはこちらが辟易する程に出た。生きることにどこか切実さの無い、言わばこの地上で息をすることに対し真面目さの薄い、そんなところも私たちは似ていた。それは伴侶という道連れのいない間は許される一人遊びなのかも知れぬ。

 少しばかり物を書くと知って、見当違いなことに、この私をドクター・ワトソンに擬している様子さえ仄見えた。迷惑な話である。しかし記録者ワトソン氏の手を煩わせるような人物はなかなか彼のドアをノックしはしないのである。

「今度のはどんな仕事なんだい」

「うん、*県安見(あみ)郡醐所(ごしょ)村という所に住む人から受けた依頼だ。平方(ひらかた)常彬(つねあきら)といって、土地の旧家らしい。なにしろ、住所が醐所村大字平方となってるくらいだ。名字と住んでる所の地名が同じなんだ」

「そんなのは大したことじゃないよ。明治になって一般庶民も名字を名乗ろうとなった際に、住んでる大字名や小字名を手っ取り早く付けたんだろう」

「いや、平方家は江戸時代から名字帯刀を許された家柄らしい。だから逆だよ。つまり、名字の地にずっと住み続けていられた実力者ということになる。案外珍しいんじゃないのか、これって」

「なるほど、そうかも知れん。で、その名家の御大がどんなことをおまえに?」

埋蔵金探しだ」

「なんだって」

「この平方常彬という人の何代か前の当主が、莫大な宝を隠したらしいんだ。幕末の無秩序を憂いて、子孫の為に財産をある場所に埋めたということさ。暗号まで作って万全を期したのはいいが、跡継ぎがどうも頭の切れに若干問題があった。解く鍵を授かっていながら、何が何だか分からなくなったようなんだ」

「そりゃ焦っただろうな」

「うん。それを解くのに常彬氏の祖父を待たなければならなかった」

「その人が見事解いたわけだね」

「そう、そのお宝で屋敷の大普請などしたらしいんだが、この祖父、何を考えたのか、大半は手付かずのまま、再び埋め直したというんだ。それも別な場所にね」

「別な場所に?なんでまたそんなことを」

「この人から見ると、ご先祖の隠した場所は安全とは言いかねると思われたようだ」

「他の人に発見されるおそれありということか」

「それに暗号自体も簡単過ぎると判断したんだな」

「ほう、数代に渡って先祖が解けなかったものをね。常彬氏の祖父って何をした人なんだい」

「旧制中学の教師をしていたという。平方家の当主は代々教育者が多い。依頼主の常彬さんも小学校の校長先生だ。まもなく定年らしいけど」

「ふうん、で、まさかその解いた祖父(じい)さんがまた新しい暗号を作ったとか?」

「そのとおり。その人は房彬(ふさあきら)さんというんだが、この房彬氏が場所も変え暗号も変えてしまったんだ。自分が解いたという昂ぶりからか、子や孫の代でなくとも何代か後の優秀な後裔が手にしてくれればいいと考えていた節もあるそうだ。それがむしろセキュリティになると思ったらしい」

「ふうん」

「暗号を解けるか解けないかが、財宝を任せるに足る器かどうかの試金石にもなると思っていたようだ。裏を返せばその財宝が無くても一族は充分豊かだということなんだろう。いずれにしろ俺たちの目から見ればこの人、相当偏屈だね、素直じゃないね」

「おまえに依頼した校長先生のお父さんも解けなかったんだな」

「そう、暗号は常彬氏も無論子供の頃から見せられていた。当主となるべき身だからね。でも、わからない、もう定年間近だというのにね。皆目見当もつかないんだ」

「焦ってるだろうな」

 私は、その時ふと湧いた疑問があって、それを口にした。

「ところで、音町、その平方さんとおまえとはどんな関係なんだ」

 彼はちょいと気取った仕草をした。パイプを手に取るな、と私は思った。案に違わずパイプに桃山を詰め火をつけた。なにしろホームズなのである。

「私立探偵としての俺の名も、高まってきたということかな」

「冗談はよせ。おまえの名前なんぞこの界隈にさえ通っちゃいない」

 音町は急に暗い表情になった。いい齢をして傷つきやすい男だ。彼のこの妙な幼さが私は嫌いであった。小さな鏡を突きつけられているような気がするのだ。

「種を明かせば、大学時代の知人が依頼主の教え子にして現在の部下なのさ。そいつが常彬校長の小学校で先生をしてるってこと」

「それでわかった。きっと何かの機会に謎解きの話題が出たんだな。酒席かなんかで。教え子に力を貸して欲しかったんだ。よっぽど焦ってるね」

「そう、でも勿論、埋蔵金の話はしていないそうだ。そりゃそうだろう、いくら教え子でも他人は他人だもの。俺がこの件を引き受けるについても、他言無用を厳に言い渡された上で中身を教えられた。好条件の裏には口止めの意味も含まれている」

「暗号の得意な人はいないもんかって、そんな持って行き方だろうな」

「そういったところさ。で、その知人が、探偵を開業している俺のことを思い出して紹介してくれたというわけだ。秘密は無論守るよ。職業倫理の問題だからね」

 彼と付き合いを重ねるにつれ、その口の端に倫理という言葉はそぐわない人物と薄々感じるようになってはいる。しかし私はあえて黙っていた。

「俺にはいいのかい。秘密を漏らして」

「おまえは別だよ。だって、ワト・・」

「なんだって、今何と言おうとした」

 推測は当たっていたようだ。彼はやはりこの私をドクター・ワトソンに見立てていたのである。音町は気の弱い言い訳をあれこれと述べた。私にしても、温泉旅行を奢られようというのだから、もう少し下手に出ても良さそうなものなのに、音町章悟という男を相手にすると不思議に強気になる。私自身本来気の弱い者だけに自分でも何だか妙だった。

「まあ、いいよ。ありがとうと本当は言うべきなんだろう。面白そうだったら、後日の為に記録しておいてもいいかな、その成り行き。勿論、誰かの迷惑にならない程度にさ」

 私はほんの少しおもねってみたのだったが、音町はこちらの期待以上の反応を見せた。頼り無いとはいえ、彼にしてみれば相手の方からワトソン役を仄めかしてくれたのである。この私以上のワトソンが、これから後現れることはあるまいと考えていたに違いない。なにしろ昔なら初老と言われる四十を前にして、まともな人間がこんな遊びに付き合ってくれる気遣いはないだろうから。

「書くったって、何かの本になって一般の目に触れることは期待してくれるなよ。俺は時々地方のテレビ局にコマーシャルを書かせてもらったり、雑誌の穴埋めのそのまた埋め草を頼まれたりしてるだけだからな」

「知ってる。いいんだ、いいんだ。君が記録しておいてくれれば老後の思い出話になろうじゃないか」

 本物のホームズ物語にも似たような科白が無かったっけ。彼はどうやら形さえ整えば満足するたちであるらしい。ホームズとワトソンの、そのシチュエーションが大切なのであって細かいことに拘泥しないのだ。またこの男は持ち上げれば鼻持ちならぬほどつけ上がり、けなせば簡単に気分的奈落に沈む。嫌な気疲れを覚えさせる人格と言えた。

「で、その場所を示すかも知れぬ暗号は知らされたんだな」

「ああ、実は手紙を貰っていてね、その後、校長先生直々にここに見えたんだ。まさに田舎の校長さん、田舎の神主さん、田舎の住職さんが渾然一体となった風貌だったね」

 音町は、おそらく銀行支店長が使用したのであろう立派な机の引き出しから、おもむろに一通のコピーを取り出した。暗号とは次のようなものである。

  『平方家は、藤原北家の流れにして、

  平安中葉⁂国に下りし受領の苗裔なり。  

  平方に移りこの郷を開き、以てこの地を

  名字の地とす。宜しく家名を上ぐべし、

  かもんを開くべし』

 

「これだけ?」

「そう、これだけ」

「なんだか、ただ家柄を自慢して、子孫たちみな頑張れと言ってるようにしか見えないが。それもかなり手抜きして」

「同感だ。この⁂国に下りしの次、何て読むんだ」

「『ずりょう』まあ、国の司と考えればいいよ。それでおまえ、引き受けたんだよな」

「引き受けたから見せてもらえたんだ。二つ返事で引き受けたよ。条件が良過ぎるもの」

 音町の頬が紅潮している。その様子をぼんやり眺めながら私は考えた。そうだ、音町章悟という人物が発する甘酸っぱい違和感はこれなんだ。この、齢に似合わぬ単純さなのだ。彼はこちらが促しもしないのに続けた。

「いいかい、成功するしないに関わらず手付けとして五十万、もし解読できて埋蔵金が見つかれば、現在の価値に換算した上、その二パーセント、仮に一億だとしたら二百万だ、それが加算される。勿論交通費なども含め諸費用は領収証のある限り全て向こう持ちさ。な、悪くないだろ。解けなくても五十万だぞ。しかもいいか、解読の可と不可の見極めはこちらがしていいんだ。極端なことを言うとな、手付けを受け取って、一日二日、ちょこちょこ探索した振りして駄目でしたって帰ってきても文句は言わない、五十万は返すに及ばずと、こういうことなんだよ」

 この男、シャーロック・ホームズのポーズだけを真似たいようだ。少なくとも高い志を嗅ぎ取ることはできない。

「話がうま過ぎるとは思わないか」

「そこはそれ、田舎の先生、田舎の宮司、田舎の和尚さんの、まあ鷹揚さだろうねえ」

「で、醐所村へはいつ出発するんだ」

「今依頼されてる仕事が、今日明日にも片付く。今週後半以降ならこっちはいつでもいいよ。おまえ次第だ」

「俺はいつだっていいさ」

「学校、夏休みに入ったから、塾は講習会とかなんとか忙しいんじゃないのか」

「まあね、でもうちは塾長の俺が口出ししなくても、みんなちゃんとやってくれるから」

「いい従業員諸君に恵まれて幸せなことだ」

 私が表に出ない方が生徒が集まる。音町はどうやらそれに気づいているらしい。その上で、このような会話の流れを引き出して薄笑いしている。何とも面妖な性向を有している。   ―続く―