鬼丸凜太の随想&創作&詩&日記

サウダーデを心に沈めた漫ろ筆。日曜詩人としての余生。

2024-01-01から1年間の記事一覧

与太郎日記

・10月17日(木) 快晴 (旧暦9/15) 月齢14.3。満月。今年最大のスーパームーン。見た目の直径が通常の14%プラス。と言うんだが我が狭き書斎の窓から東の空を見上げれば、感嘆符を付すほどの違いではなかった。もちろん綺麗ではあるけれど。 午前中自転…

田舎ホームズ奮戦記[一](不定期連載小説)

[一] 音町(おとまち)章悟(しょうご)から*県への旅に誘われたのは、一九八*の夏のことだった。そこは有名な温泉郷にごく近く、仕事が片付いた後はそこで一泊、あるいは気に入れば二泊くらいするつもりだというので、それが楽しみで快諾した。 音町は私…

ひかり湖の影絵(創作)

ドアに掛けたカウベルを揺らしてその人が入ってきたのは、四時を知らせる工場のサイレンが鳴って三十分ほど過ぎた頃であった。辺りは既に薄暗くなっている。男は店の一番奥まったテーブルに座った。暖炉に最も近い席である。しずくちゃんが注文を聞いて私に…

「孚雨(ふう)」〔Ⅳ〕(五行歌)

・隙間風に熾(お)きりたつ炉辺(ろべ)の火を 酒の肴として 酌み交わす まだ帰らないでね 毛衣を着た ふるさとの死者たちよ ・廃校の音楽室のオルガンが低くうたいはじめた 居並ぶ楽聖たちのウイッグが 十三夜の光の中にある 独り お下げの少女が忘れ物をとり…

「孚雨(ふう)」〔Ⅲ〕(五行歌)

・大勢で騒ぐのは好きじゃないから 独りで 静かに騒いでいる 風に吹かれる 一本のすすきのように ・自分のことは 自分がいちばんわかっていない? ほんとかな 自分のことはやはり 自分がいちばんわかっている ・小学校の雲梯おぼえている? 夕やけに向かって…

瀬に送る(創作)

隣りの地区にある小学校までは子供の足で一時間の道のりだった。子供たちにとってそれは物語の生まれるのに充分な時間である。 高津周作は四十数年振りに母校の前に立っていた。そこから自分の生まれ育った町まで歩くつもりなのだった。七月下旬の陽射しの強…

「孚雨(ふう)」〔Ⅱ〕(五行歌)

・昼寝する人が可愛いのは 背中がリハーサル しているからではないだろうか お別れのリハーサルを しているからではないだろうか ・雪国の昭和の少年は 誰もが一度は あったはず おしっこで雪の上に 文字を書こうとしたことが ・風鈴の音は 待ちぼうけによく…

「孚雨(ふう)」〔Ⅰ〕(五行歌)

・思い出の ほら この辺に 水やろう 夏の尻尾が かわかぬうちに ・思いきり 俯くことが できるから 読書が好きになったんだって そう言ってあの人は 笑っていた ・月下美人が咲いたよと 妻が叫んだ わかっているんだ そろそろ仲直りしたいんだろ 今日はカレ…

雨のカンヴァス(創作)

失意の果てに旅に出た。あんまり落ち込んでいるものだから、一人旅にでも行ってらっしゃいとあの締まり屋の妻が言い出したほどだ。どこに行くと決めていたわけではない。初めて訪れた町の初秋の宿に予約もせずに旅装を解いた。鄙びた宿の女将は宿帳を受け取…

爽籟を聞きながら(創作)

天沢の説教もなかなか板についてきたな。安宮と高緒は目を見交わして微笑む。自在に音吐を操るのはさすが俳優を目指していただけのことはある。廃校を改造した集会場は今、静かな爽籟(そうらい)の中にあった。 十年前、三人の若者がくすぶっていた。天沢京助…

孤舟という居酒屋で(創作)

行灯の「孤舟」という名に惹かれて、居酒屋の暖簾をくぐったのは、今にも降り出しそうで降らぬまま、秋の暮れ、街の灯がひとつ二つと点り始めた頃である。カウンターに腰を掛けたのだが、左隅に先客が一人居た。私は右隅に席をとりビールを頼んだ。文庫本を…

三余敏氏と過ごした一夜(創作)

沛然と横殴りの雨が襲い、ライトに浮かぶ薄紅葉の木々の葉は風にちぎれそうだ。日暮にはまだ遠いというのに、山越えの道は真っ暗な空に覆われている。先輩の安西彩子と私は車中にあって、稲光に追いかけられていた。臆病な私は身を竦め口も利けずにいる。先…

八月六日の与太郎日記

月齢1.7.❝広島忌❞。黙祷。以下の文章は黙祷の上で申し上げる。人類は原爆をもってしまった。世界に争いがある限り核兵器が無くなることは金輪際ありえない。おぞましくはあるけれど、いつか日本も自前の核兵器をもつことになるだろう。私(古希)の次の次の…

パプペポン子のお仕事(散文詩)

弥子さんはその日、珍しい光景を目にした。四匹の猫が仲良く頬をならべて散歩していたのだ。その後ろを、帽子を目深にかぶった、老人なのか少年なのかはっきりしな人物が歩いてくる。猫は気ままな生き物だから、ありそうでいて、なかなか出会えない景色に違…

「かなし」いうこと(随想)

「かなし」いう言葉を考えてみる。漢字でかけば「悲、哀、愛」等々と記されるのであろう。これら漢字に対する殆どの外国語は、例えば英語など異なる単語で対応するに違いない。 私の幼き日の記憶である。明治四五年生まれの母は地方都市の町場の人。その母と…

おじさんの馬(随想)

落語の、本題に入る前の小噺を枕と称しますが、一日こんな枕を聴きました。ある牧場主が死に臨んで、三人の息子の相続について次のように遺言する。長男には所有する馬の二分の一、二男には四分の一、三男には六分の一を与えると。彼はいよいよ亡くなったの…

サンジュウトマトの詩

サンジュウトマトとおまえが何度も言うのを聞き流していたのだが 何気なくそちらへ目をやると そこには 「三重トマト」と書かれていた 三重県のトマトのことだった 頓馬な妻よ そのとき俺に湧いた思いをこそ サウダーデと名付けようか 聞きかじったこの言葉 …

毒見薬について考える(随想)

かつて毒味役という職制があった。殿様の食膳に上る物を事前に食べ、その料理に毒が無いことをあるいは有ることを調べる、試薬のような役割をもった人である。 時代小説などによると、こういう役目は百石程度の側役がやることになるらしい。百石の侍が如何ほ…

滝の記憶(創作)

私に友人は少ない。湯瀬涼助はその一人だ。湯瀬が突然連絡をくれて我が家を訪うたのはクリスマスの一週間前のこと。新しく生まれた孫とその姉や兄のやんちゃ盛りの世話のため妻が東京に行っていて、私は俄か独身の気儘さを謳歌していた。湯瀬は旅行から帰っ…

青いハットで口笛吹いて(創作)

〔一〕 立原志郎が遊びに来ないかと便りを寄越したのは、私の住む地方都市にその年初めての霙が降った日のことである。最後に顔を合わせてから既に二十数年が経っていた。音信は絶やさずあったが、訪ねてこいという文言が通り一遍の挨拶と違っていて、私はや…