鬼丸凜太の随想&創作&詩&日記

サウダーデを心に沈めた漫ろ筆。日曜詩人としての余生。

八月六日の与太郎日記

 月齢1.7.❝広島忌❞。黙祷。以下の文章は黙祷の上で申し上げる。人類は原爆をもってしまった。世界に争いがある限り核兵器が無くなることは金輪際ありえない。おぞましくはあるけれど、いつか日本も自前の核兵器をもつことになるだろう。私(古希)の次の次の世代、つまり孫たちが還暦だの古稀だの米寿だのと言ってるあたり、間違いなく我が国の核武装は始まっている。悲しいことに、この与太話はほぼ百パーセント現実になると確信している。

 アメリカの核の傘なんて幻想はもうやめにした方がいい。51番目の州にならない限り本気で守るはずないじゃないか。自身が米国国民であると仮定すれば単純すぎるほどの足し算だ。太平洋を隔てたこの島国を、なぜ血税を使い、また文字通り息子の血を用いて守らねばならない?そんなわけあるわけないです。

 歴代の広島市長、❝頭脳明晰な❞人たちがこの理屈わからないとは思えない。核廃絶を挨拶文に盛り込まなきゃ選挙は勝てないのかね。嘘を言うなよ。顔つき醜いよ。ロシアが核をちらつかせるのは、ウクライナが核を放棄してからだという側面をなぜマスコミも正面きって報じないのか。

 マスコミとはそういうものだと言ってしまえばそれまで。第四の権力なぞ称する向きもあるんだが、あんなのに権力与えて良いのかと問い直さなければならないのじゃないのかな?マスコミ(瓦版屋)とは元来鈴を振りつつ往来を行く人の足を止め、人間性のけして高尚じゃない部分にはたらきかけて記事を売ったその原点を忘れてはなるまい。いわゆる大新聞、あんた方おつに済ましてる場合ではないよ。❝俗❞でありながら、ここぞという時、本物の❝木鐸❞となってくれなきゃ存在価値まるで無いからね。