鬼丸凜太の随想&創作&詩&日記

サウダーデを心に沈めた漫ろ筆。日曜詩人としての余生。

瀬に送る(創作)

 隣りの地区にある小学校までは子供の足で一時間の道のりだった。子供たちにとってそれは物語の生まれるのに充分な時間である。

 高津周作は四十数年振りに母校の前に立っていた。そこから自分の生まれ育った町まで歩くつもりなのだった。七月下旬の陽射しの強い日であった。

 周作たちは田圃の中の細い道をかよったものだが、新しい学校ができたため、故郷の子供たちはもうここにかよっていない。

 ここから日盛りの道を歩いて生まれた大字に行ったとしても、そこに彼の所縁(ゆかり)は一人もいない。家そのものが四十数年前、既に人手に渡っている。

 昔、周作たちが通った道は紆曲をそのままに田圃の中に細長く横たわっている。けれど通る小学生はもはや一人もいない。様々な物語が生まれたあの一時間を、新しい子供らは知らずに過ごすのだ。青田の波も土埃の匂いも、少年の周作にとっては懐かしい精霊の棲み処だったのだが。

 自転車屋が見えた。そこには一男二女の子供があった。その末の女の子と周作とは同級だった。姉妹は二人とも美しい少女だった。そこの主は婿養子でいつも口笛を吹いていた。

 自転車店は同じ場所にあったが、こじんまりと小奇麗な建物に変わっている。店のガラス戸の蔭に仕事をしている男の姿が垣間見えている。長男が跡を継いでいるのだろう。前庭で男の子が自転車を乗り回していた。ゴムや機械油の匂いの入り混じったあの頃の記憶が懐かしい。周作は暫くそこに佇んでいた。思えば学校周辺を歩き回れば、いくらでも懐かしい回想の種は転がっているはずだった。行き来する、自分と同年配と見える男たちはかつての同窓かも知れないのである。

 周作はゆっくり歩いた。風の渡る植田の広がりの向こうに、生まれ故郷の家並みが小さく見えていた。その背後に整然とした団地が霞んでいる。四十年前にはなかった風景である。

 

 「僕は死ぬんだ」

 曲がり角へ来たとき、周作の頭の中に幼い声が響いた。あれは何年生くらいのことだったか。猛吹雪の日だった。一緒に下校していた友達の一人が道から外れて雪の原と化した田圃の中へ突然入っていった。誰かがいじめたという記憶もない。確かな経緯は忘れてしまったけれど、その少年はそう叫びながらどんどん雪原に踏み込んでいくのだった。周作と他の数人の仲間は呆気にとられて見ていたが、やがて慌ててその真佐夫という少年の後を追おうとした。

 真佐夫の茶色の毛糸帽子のてっぺんが揺れていた。風の吹き荒ぶその雪の原は、本当に死ぬかも知れないと彼らの目には映った。近くを歩いていた他の子供たちにも声を掛けて彼らはその少年を追った。狩をするように追った。馬橇に轢き潰された柿の実が西日に赤かった。

 周作の幻想は一瞬のことである。ひとつひとつの道のほとりや草むらのなかに、幼い日の思い出がとりついたように蹲っている。真佐夫は、まだあの町にいるのだろうか。中学校に上がると、みんな坊主頭になるけれど、彼らの坊主頭を見ることもなく周作の一家はそこを去った。真佐夫少年もまだ坊っちゃん刈りの豊かな頬の姿で記憶の底に沈んでいる。

 丁字路に差し掛かった。左へ行けば別の町があり、その道をさらに道なりにどこまでも辿ればやがて賑やかな国道へ出る。あの頃の小学生にとって左に折れることは、小さな都会へ一歩踏み出すことを意味した。気紛れに丁字路をそちらの方角へ数歩踏み入ればただの道草とは微妙に異質の、そう、禁断の香さえ拡がった。滑稽なことに違いない。でもあれはいったい何だったのだろう。彼らの周囲にはいたるところ感受の糸が張り巡らされ、ときめきの種子が播かれていた。

 周作の額は汗だくだった。彼はその丁字路で道から田圃へ下り、小川の畔に腰を下ろした。せせらぎの音が心地よかった。その上を渡る風も彼の頬に親しかった。

「河童だ」

 周作に、再び幻の声が聞こえた。陽炎のように揺れる子供たちが用水路を覗き込んでいる。そこは小川の水が道の下に潜り入ろうとする所だった。ごぼごぼと大きな音がして、沸騰したような泡立ちは河童の頭の皿を連想させた。薄墨色の集団の中に周作少年自身の姿もあった。

 少年たちは一様に好奇の眼を輝かせていた。大きな水音にじっと耳を澄ましていると、次第に恐怖が募ってくる。水を見つめる彼らの周囲に、立ち止まる子らの影が増えていった。男の子も女の子もいた。彼らのうちの何人かも田の畦に下り、しゃがんでその泡立ちを見つめた。その体臭さえ周作の鼻腔を()ぎるようだった。

 やがて不気味な音が遠退き静かなせせらぎの佇まいが戻ってくる。それに伴って幻影もかき消えた。目深な夏帽子姿の自分が、独り小さな瀬を見つめているだけだった。田の中に働く人の影が遠く疎らに見えている。トラクターが一台道路をとろとろと走っていった。運転台の麦藁帽子の男が周作に一瞥をくれたようだ。

 背中の汗は乾いている。周作は立ち上がり再び歩き始めた。丁字路の右の道へ。

 

 生まれ故郷の中程に川が流れている。赤い欄干に凭れて、流れをしばらく見つめていると、やがて橋が流れて船のデッキに立っているような錯覚を起こす。流れに対しているときは前に進み、瀬を見送るときは後退する。子供の頃、周作は二つ違いの兄の陽介と、いつまでもそうして佇んでいたものだった。その川で釣りを教えてくれたのも陽介だった。

 五月十日、長崎にて兄陽介死す。肝硬変、享年五十五。

 周囲に不義理の限りを尽くして出奔した兄であった。身内や友人の誰かれに無心を重ねた果てに、債鬼の中に年老いた父を放り置いて姿を晦ました。

 姉の律子も周作も長崎にいるなど想ってみたこともない。桜の咲く前、何の前触れもなく姉に電話を寄越し、そのほぼひと月後逝った。

 行方知らずの果てに遠い九州の地で煙となり、滋賀県在住の現在の妻の元へ帰った。父母の眠る墓に納められることを遠慮したという。最期を、今の奥さんと最初の嫁さんと、長崎で同棲した人の三人が看取ったそうだ。

 滋賀で納骨。姉の律子と義兄と周作が出向き、現在の妻と四人が立ち会った。納骨の時周作は一片のお骨を取り、誰にも気付かれぬようにそっとハンカチにくるんだ。

位牌をテーブルに置いて、ホテルのレストランで会食。どうしても責めがちになる周作や律子の口吻に、現在の妻が静かに夫を庇い続けた。

 滋賀でこの人と内縁関係を続け、ひと頃は羽振りの良かった時期もあったらしい。しかし金の使い方が昔通りの出鱈目ぶりだった。やがて行き詰まって単身長崎へ。

 病を得て入院中、滋賀に金策を頼み、妻が駆け付けると、そこで同棲相手と鉢合わせをした。妻は用意した金の半分だけを叩きつけて滋賀に戻ったという。どこまでもいい加減な男だ。

 しかしたとえ半分でも金を受け取ることができたのは、皮肉を込めて不思議な人徳とさえ言いたくなる。

「陽介さんといると幸せな気持ちになりました。喧嘩もいっぱいしたけど、生きていてくれさえしたら」

 行方の知れぬ兄のことを思うとき、周作はきっと悲惨な生活を想い描いたものだった。それがそうでもなかったらしい。なんだ兄貴けっこう幸せだったんじゃないか。

「お薬のおかげで最期、痛みは無かったと思います。涙が一筋つうと頬に流れて、その直後息をひきとりました。私たち三人が送りました。三人ともほんとは自分が一番愛されていたと思っているんですよ、きっと。諍いもし、憎みもし修羅場があっても、あの人を憎み切れなかった。それはみんな同じ思いでした。陽介マジックねって、三人で笑っちゃいましたよ」

 陽介マジックだって、兄貴。良かったな。前の奥さんにまで来てもらって。周作は呟いた。

 陽介は確かに誰からも慕われれた。応援団長で、同窓にも先輩にも後輩にも人望があった。幼い頃から周作はそれが羨ましかった。周作は誰からも好かれなかったばかりか、当の兄には殆ど憎しみに近い仕打ちさえ度々受けた。尤も、兄からすればきっと鼻持ちならぬ弟であったのだろう。そんな周作でさえ兄を心から憎悪することはできなかった。なるほど陽介マジックだ。

 頼めた義理でない最初の妻にも泣きつき、その人との間の子供たちに、肝臓のドナーになってもらうことさえ訴えたという。とことん恰好の悪い話だ。子供のために体を痛めることはあっても、自分のために子供の体に傷をつけることがあるか。

 しかしそれはいかにも兄らしいとも周作は思った。恐かったんだな兄貴。かわいそうに。ただただ、死ぬのが恐かったんだな。不憫なそしてただひたすら懐かしい男だ。守ってやりたいと思わせる人だった。振り返れば可憐とさえ言える生涯であった。

 兄の死を知って以来、幼かった頃の風景が去来する。二歳違いの兄弟は喧嘩ばかりしていた。作ってもらった雪沓の、どちらを取るかということさえ喧嘩の種になった。相撲をとれば周作の方が強かった。柏鵬時代、星取りの景品に柏戸大鵬の湯呑み茶碗を貰い、相撲で勝った者が好きな方を取ることに決めた。周作が勝って大鵬を手に入れた。その時の陽介の悔しそうな顔を周作は今に忘れない。何より、父と母との間にはいつも周作がいた。確かに憎い弟に違いない。

 でもな兄貴、と周作は思う。あれは幾つ頃の事だったろう。兄貴が友達と山にあけびなど採りにいって日が暮れても帰らず、親たちが騒ぎ始め、駐在までやってきたとき、自分の寿命を縮めてもいいから兄を無事帰してくれと祈ったのだよ。この世での、最初の切実な祈りを教えてくれたのはあんただったのかも知れぬ。

 思い出に浮かぶ陽介の面影は、存在自体が懐かしい、存在そのものがノスタルジーとしか言いようのない明るい眸の、そしてうっすり悲しい横顔だ。

 

 橋に佇む周作は、背に道行く人の好奇の眼差しを感じた。白い夏帽子が西日を返している。川波が七月の光に美しい。ポケットに上からそっと触れてみる。兄のお骨で少し膨らんだポケットに。取り出したハンカチを静かに開いた。周作の胸に再び、いじらしいという言葉が浮かんだ。ここに生まれ育ち兄貴は、そう十四歳までを過ごしたんだったな。

 故郷の風を嗅げよ、思い切りな。彼は骨片に語りかけた。向こうに兄貴がキャッチボールをしてくれた神社の境内も見えるよ。連れていってやろうな。他にも思い出の場所を見せてやる。今は他人の物になっている家の裏庭に、跨って汽車ごっこをしたイチイの木はまだあるだろうか。二人で親父に叱られたものだった。そっと眺めて去るだけしかできないけれど、あんたのお蔭で仮初めの帰郷を果たすことができたよ。

 周作は欄干を離れて静かに歩き始めた。緩い上り坂になっている。上り切った十字路はバス停になっていて、右手、西の方角からバスがゆっくり迫ってきている。その中の通勤客には、きっと周作や陽介の幼なじみが幾人かいるはずだ。

 逆光の中の何の変哲もないバスが濃いシルエットとなって映った。このまま歩みを続ければ、十字路で降りる人々と合流することになる。どれ程の降客か知らない。でもなろうことなら小さな人群れの中に兄を置き、一人でも二人でも幼なじみの声を聞かせたい。周作は夏帽子をさらに目深におろした。

 

 遠く祭り笛の稽古の音が聞こえている。生家のあった辺りををひと巡りした後、周作はまた赤い欄干の橋に戻った。ハンカチに包まれた骨のかけらを取り出した。別れを告げ、軽く頼りない一片を瀬の流れに任せた。滔々と流れてはいるけれど故郷の空を映している水だ。陽介の生まれた七月の残照がささやかな旅立ちをそっと見送った。 

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*『デーリー東北新聞社』「新春短編小説」(白瀬凡)

*白瀬凡=鬼丸凜太です。当該新聞社より掲載の承諾を得ております。