鬼丸凜太の随想&創作&詩&日記

サウダーデを心に沈めた漫ろ筆。日曜詩人としての余生。

おじさんの馬(随想)

 落語の、本題に入る前の小噺を枕と称しますが、一日こんな枕を聴きました。ある牧場主が死に臨んで、三人の息子の相続について次のように遺言する。長男には所有する馬の二分の一、二男には四分の一、三男には六分の一を与えると。彼はいよいよ亡くなったのですが兄弟ははたと困る。馬が十一頭だったからです。二で割ることもできなければ、四や六でも割れない。

 そこへおじさんが馬に乗ってやってきました。兄弟の困惑するのを聴いて、それでは自分のこの馬をお前たちにやろう、十二頭なら計算できるだろうと言います。遺言に従って長男は六頭、二男は三頭、三男は二頭を自分の所有とすることになりました。足し算をしてみましょう。六+三+二は十一。一頭余ります。それではと言っておじさんは自分の乗ってきた馬に再び鞍を置き悠々と帰っていったという。

 膠着した状態をとにもかくにも動かし、と言って誰かに犠牲を強いることもないおじさんの乗ってきた馬の効果。いわば触媒のはたらき。こんな存在がどこかにあれば、小さくは家庭大きくは世界情勢、お互いもっと楽に呼吸ができるんですがね。

 時々、誰彼に「おい、ご同輩」と呼びかけたくなります。「道連れさんよ」でもいいかな。思えばみんな同じ方角指して日々歩いている旅人ですよ。「死」というゲートへ向かう一本道を肩並べて往く(復路は無い)のなら、楽しい道中のほうがいいに決まってるのに。「おじさんの馬」がそうそうあちこちに草を食んでるはずもないと知りつつ、今日も梅割り焼酎を啜る。