鬼丸凜太の随想&創作&詩&日記

サウダーデを心に沈めた漫ろ筆。日曜詩人としての余生。

雨のカンヴァス(創作)

 失意の果てに旅に出た。あんまり落ち込んでいるものだから、一人旅にでも行ってらっしゃいとあの締まり屋の妻が言い出したほどだ。どこに行くと決めていたわけではない。初めて訪れた町の初秋の宿に予約もせずに旅装を解いた。鄙びた宿の女将は宿帳を受け取った後、風呂の場所を説明して去った。ボストンバッグを部屋の隅に押しやって、私は浴衣に着替えた。

 風呂から上がって部屋に戻るといきなり疲れが出た。体を使ったのでないのだが気持ちが磨り減っていた。

 頼んでおいたお銚子数本で、手もなく酔いに沈む。酔いの底で雨の音を聞いていた。いつの間にか激しく雨が降り出していたのだ。屋根を打つ雨の音を聞いたのは久し振りのような気がする。激しい雨の音は私を取り囲む空間を外界から隔て、薄闇はそのまま羊水中の色彩であるようでもあって、そこに漂う快さに浸っていた。

 微睡(まどろみ)みのカンヴァスに懐かしい風景が次々と描かれていく。その景色の中にも雨は䔥々と降るのである。生まれ故郷の風の匂いがした。その人々の姿は私の幼い頃の記憶そのままだった。恐らく今は亡き人々も、かつての壮丁の頬の輝きを見せてあの懐かしい往還を行き交った。その息遣いや声は、風景全体を覆う雨音に掻き消されて聞こえなかった。無声映画の中の一齣(ひとこま)のようだ。

 そこに私の係累はもう一人もいない。何年も足を踏み入れていない。けれど眼裏(まなうら)の篠突く雨のスクリーンの中では、そのかみの毛衣を着た男たちの姿さえ見えるのだった。私自身の家族の姿もあった。

 いつも和やかに暮らしたわけではない。だが懐郷のフィルターの向こうではみんな笑顔を湛えた横顔を見せている。既に亡き父と母もどこかに若さの名残を留めていた。私はその景色の中に現れてこない。自身は酔って異郷にあり、これは夢の風景なのだと不思議に澄んだ意識の中で思っていた。雨の音を聞きながら、二親の睦まじさを感じ安心して眠る子のように、いよいよ深い眠りに沈んでいくのがわかった。

 夜半に目覚めると蒲団の中にいた。久し振りに酒を過ごしたはずなのに頭痛も不快感もない。ただひどく喉が渇いていた。目が闇に慣れていない。私は小さな冷蔵庫のあった辺りへ膝を這わせた。と突然廊下に乱暴な足音がした。恐怖を覚えて電灯のスイッチをまさぐる。探り当ててそれを押したのだが小さなランプしか点かない。ほんのりと部屋が明るくなったのと、二人の人物が懐かしい我が方言で何か罵りあいながら飛び込んできたのとがほぼ同時だった。

 何だか叫びながら、大男が小柄な人影に拳を振り上げている。薄闇に目が慣れてくると私は思わず大声を上げそうになった。男女二つの影は私の生家の隣の爺さんと婆さんだった。記憶に誤りがなければ、この二人はとうの昔あの世に行ったはずのカップルなのである。

 隣家の爺さんは普段はおとなしい働き者だが、ひとたびアルコールが入ると度々その妻に暴力を揮った。息子であるその家の親父が居る時はいい。女達や子供達しかいない場合は始末に困った。そんな時、隣の婆さんは決まって私の家に助けを求めに来るのであった。私の父を頼るのである。屈強な隣家の爺さんに対して小柄な父であったが、柔道の三段を標榜していたものだから私の家は、暴力沙汰が起きると隣の家に限らずよく嫁達に逃げ込まれる家であった。私は父の五十を過ぎてからの末っ子だったから、この爺さんと父とは似たような年恰好だ。

 二人の闖入のシーンは幼い頃見慣れていた。でも異郷の宿の深夜の騒擾では趣が違うのである。私の狼狽は極みに達した。そこへ、もう一人の登場人物があった。爺さんを上回る背丈の男だった。隣の親父、すなわちこの爺さんの倅である。山仕事を終えて帰ったばかりのような風体をしている。今にも婆さんに殴りかかろうとしていた爺さんの前に立ちはだかって通せんぼのようなかっこうをした。爺さんは倅の出現に明らかに動揺したけれど、振上げた拳の手前虚勢を張り続けた。

「熊、このこの、そこをどけ」

 熊吉親父は無言で自分の父親を睨みつけたままその背に母親を庇っている。暫く膠着状態が続いた。そこへまた今度は軽やかな足音が響いてきた。騒ぎを聞きつけた旅館の主人か女将であろう。が、そうではなかった。二人連れは、私自身の父と母であった。私は瞬間、蒲団を飛び出して逃げ出そうとした。母は二十三年前、父は十五年前、既にこの世の人でない。父は自慢のロシア帽子を被り、母は台所仕事の時いつもそうであるように、薄手のネッカチーフのような物を姉さん被りにしている。

 母が執り成すように隣家の三人に声を掛けた。爺さんは依然酒臭い息を吐いている。酒で赤黒くなった顔を一層充血させて何か言おうとするが、前に大きな倅、後ろに柔道の猛者がいるものだから酔った脳髄にも自制心がはたらいている。

 父はロシア帽を脱ぎ、その毛皮の感触を楽しむように指で弄びながら、部屋の真ん中に腰を下ろした。そうして「まあ座れ」という意味の方言で三人に声を掛け、ズボンの隠しからゴールデンバットを取り出した。まるでその部屋が自分の家であるかのような物言いだった。私の心の中では、亡き父と母に対する懐かしさと恐れとがせめぎあっていた。蒲団の上に腰を浮かしたまま、為す術も無くただきょときょとするばかりだ。同時に、隣の爺さん婆さん親父といい、我が両親といい、この私という者にさっきから一瞥もくれようとしない振る舞いにやや苛立ってもいた。

「まあま、落ち着けって。このところ顔見なかったが、山のほうか?」

 そんな意味のことを父は故郷の言葉で言った。隣家の爺さんは、返事ともつかぬ唸り声を発している。

「久し振りに一杯やるか」

 父が重ねてそう言うと、爺さんの顔が少しだけほころんで見えた。何か一言婆さんに悪態を吐いた後、卓子の前にどっかと腰を下ろす。

 一杯やるといってもどこに酒があるのだろうと思っていると、母がどこからともなく、「花友」とレッテルの貼られた一升瓶を取り出した。懐かしい我が地元の合成酒だった。手際よく湯飲み茶碗を並べ、男達にはその「花友」を、自分と隣の婆さんにはお茶を注ぐ。つまみと茶菓子が続いて現れたのには唖然とするばかりだった。

 酔うほどに、一座はしだいに和やかな炉辺話の趣を呈していった。彼らは極め付きのふるさと言葉で喋っていた。その言葉を私はもう話せないけれど聞き取ることはできた。私の最初の驚愕と恐怖も少しずつ薄れていく。けれど、仮の宿りとはいえ部屋の主である私を無視したこの宴に、一抹の寂しさを覚え始めてもいたのである。

 私は思い切って彼らへの仲間入りを試みた。浴衣の裾を直し、立っていって、父と母との間に体を滑り込ませた。この時二人の体はわずかに動いた気配がしたのに、末っ子の闖入に気付かぬように話し続ける。微風が鬢(びん)を吹いたくらいの刺激さえないようだ。私の寂しさはいよいよ増した。

 この時、あることが脳裏を過ぎり私は愕然としたのである。この場の一団には私の姿は見えないのではないか。考えてみればここに集う人々は皆死者である。彼らの世界にあってはこの私こそが、目に見えぬ異界の存在なのではないか。先ほどから試みようとして躊躇っていたことを私は実行に移すことにした。

「父さん、母さん」

 まず小声で囁いてみる。二人とも何の反応も示さない。今度はやや大きな声で繰り返した。父も母も隣人も談笑を止めない。私は自分の推測が誤り無いことを悲しい思いで悟らねばならなかった。だが、しみじみと寂しさを味わっている暇はなかった。故郷の死者達の登場が陸続と続いたのである。

「俺は悪い人じゃないんだぞ」

 そんな意味の方言を繰り返し怒鳴り散らしている男がいた。ああ確か竹之丞さんといったっけ、ちょっと洒落た風情のある名を負った酒飲みがいたな。名前と当人の風体とはおよそ釣合わなかった。兵隊外套を手直しして身に纏っていたけれど、前はだらしなく開けられ、頭には手拭いで頬かむりしている。唇がややとんがっているものだから、何のことはない、有り様はひょっとこが兵隊の扮装を凝らし酔っ払って騒いでいるのである。この人は酔っても乱暴をはたらくようなことはない。ただ話がくどくて、「自分は悪い人ではない」と繰り返すだけのいたって気の良い人だった。それでも、酔えば雪の道だろうが凍った小川の上だろうが、あるいは馬糞の上だろうが所構わず寝っ転がる癖があって、家人には厄介な酒飲みに違いなかった。その竹之丞氏が乾いた馬糞の匂いを身に帯びて入ってきたのである。

「おお、竹之丞、今日はどこで呑(や)ってきた。馬橇の具合はどうだ」

 そんな意味のことを隣家の爺さんが言った。もうすっかり機嫌は直っている。相手はそれにすぐには応えず、干し鱈の匂いの混じる息を荒く吐きつつその辺に横たわった。例の如く「俺は悪い人じゃない」と呟きながら。

 竹之丞さんに続き、堰の下の婆さん、私の伯母、そしてこれも酒飲みの屋根屋の助太郎爺さん、その他、私の記憶にある限りの今は亡きふるさと人が、あるいは茶を飲み、あるいは酒を呷り、煎餅の音を賑やかにさせ干し鱈などを毟(むし)り、冬の農閑期のひとときのような思い設けぬ俄かの宴に、四方山話を尽きることなく繰り広げていく。助太郎爺さんは干し鱈が好物らしく盛んに魚の身の滓をまき散らしながら毟り続けている。

 宿の部屋は限られた空間でありながら、際限もなく死者の一団を受け入れた。そして「花友」と女達のためのお茶や茶菓子が、これもまたどこからともなく出てきて、彼らの胴間声と嬌声は果てもなく続くのである。

 死者達に自分の姿が見えないことをいいことに、私は父の茶碗酒を脇から時々失敬しながら田舎人の話を聞いていた。今の若者達がもう話すこともない強い訛の言葉を彼らは喋り散らしている。遠い記憶にある匂いも郷里の人達の息吹によって蘇る。それは野良仕事や山仕事の匂いかも知れない。季節の巡りによって、それは掘り返された土の匂いであったり、袖に触れた野の花の香りであったり、時には雪の匂いであったり、馬橇に轢き潰された柿の実の匂いであったりした。稲刈り後の田に積まれた稲藁に子供らが上って遊ぶ頃には、故郷の山には雪形が現れ里にも霙が近いのであった。

 宴の中にあって、私は存分に郷愁に耽ることができた。遠慮も照れもいらなかった。父の肩を揉み母の腰をさする。二人とも何の反応も示さないし、また自分の気休めに過ぎぬことはわかってもいたけれど、私は生前してやれなかったことを無心に続けていた。そうして、最前、雨の音を聞きながら微酔のうちに眠りに落ちた時のように、故里の人々の荒々しい声を子守唄と聞き、父と母との間に横たわってこの上ない安らぎの目を眠った。

 微睡みの中で鈴の音を聞いた。巡礼の鈴のような音である。

「これでお暇いたします」 

 そんな意味の方言がか細く震えている。

「次郎さん、どこへ行きなさるか。ここに居なさい」

 この里では同姓が多い。私の父が下の名前でそう言った。次郎さん一家は三度の出火を恥じて、生まれ育ったここを出ていこうとしているのである。

「次郎、こら、どこにも行かなくていい。ここに居ろ」

 さっき女房を追い掛け回していた爺さんが優しく言う。

「有難う。ここの人達のことは忘れない、ほんとに良くしてくれた。皆さん達者で」

 鼻を啜る音がする。女房と娘達に違いない。二人の娘はどちらも次郎さんに似て、ふっくらとした頬をしていた。私は目を開けようとして足搔いてみたが、どうしてもできずにいた。これが金縛りというものか。夢うつつの中で彼女等の面影をなぞりつつ再び鈴の音を聞く。

 頬を撫でられたような気がして、目が覚めた。昧爽(まいそう)の光が射している。誰かが言ったわけではないけれど、我が隣人達との別れのときが来たことを私は知った。彼らが、登場の際の賑やかさとは対照的に粛々と帰り支度を始めたからである。伯母が帰り、堰の下の婆さんが帰り、助太郎さんが尻をうかせ、他の人達も暗い廊下へ静かに歩を進めた。最後に、父と母もよっこらしょと言いながら腰を上げた。

「もう帰るの、父さん、母さん」

 五十過ぎの私はまるで小学生のような声を出した。勿論、もうそれに応ずる声を期待してはいなかった。呼び止めようと袖を引っ張ろうと、二人が何の反応を示すはずもない。それでも私はもう一度同じように父と母を呼んだ。すると、気の所為か、その背がぴくりと震えたように見えた。その微かな動きに心が騒いだ。それからお伽噺のような空想が浮かんできて私を捕えた。みんな本当は私の存在に気付いていたのではないか。異界の人々はこの世の生者と交信することを禁じられていて、皆その禁忌を守ろうと振舞ったのではなかろうか。そんな想像に答えを求めたのではないのだが、私は背後からもう一度二親に呼び掛けた。せめて親不孝を詫びたかった。

 父と母がゆっくり振り返った。私はどきりとした。二人の眼差しは確かに私に据えられている。嬉しくなって駆け寄ろうとしとき、両親は鋭くかぶりを振ってそれを制した。その厳しさとは反対の、優しい瞳が語り掛けた。唇は全く動かないが私ははっきり父母の声を聞いた。愛しい者に呼びかける声であった。襖が閉められるとその部屋を静寂が蓋い、兆し始めた窓の外の光が嘘のように遠のいた。再び目覚めたとき、私は蒲団の中に横たわっていた。眦(まなじり)が涙に濡れていた。

「賑やかな夢だったな」

 私はそう呟いた。ほんの少し前この部屋で時ならず繰り広げられた宴の跡は無論ないものの、野良風の匂いも吹雪の匂いも鼻腔の奥にその名残を留め、耳朶に彼らの訛や父と母の声の掠れまでが生々しく残っていた。カーテンを開ける。雨はすっかり上がり、柿の実に雫が光っている。夢には違いない。でも良い夢を見せてもらった。

 何気なく卓子に目を遣った。綺麗に拭き込まれた片隅に小さな白い物が見えた。手にとり眺めていると、それが何であるかがわかってきた。助太郎爺さんが盛んに毟っていた干し鱈の皮の切れ端であった。    ー了ー